ボローニャのコルプスドミニ修道院に行
けば、15世紀に生きた聖カテリーナの
無傷の聖遺物(ミイラ)を拝観できると
言われています。
幸運であれば、聖遺物のいくつかの動き
もその目で拝観できると言われています。
カトリック教徒の友人によれば、聖遺物
の前を横切る時、聖遺物の閉じた目が
あなたの動きを追って動くそうです。
私達はこれを知りませんし
いくつかの疑問もありますが
聖カテリーナの話は示唆に富んでおり
語られるに値します。
Caterina de’Vigriカテリーナ デ ヴィーグリは1413年にボローニャで生まれました。
少女時代は、貴族の子女としてフェラー
ラのマルゲリータディエステ家の宮廷に
出入りし、権力のあるエステ家の宮廷で
当時にふさわしい教育を受けました。
彼女は音楽、絵画、ダンス、詩などを
学びながら、細密図像学と写字芸術の
専門家になりました。
その経験から、彼女は生涯を通じて
本の執筆や絵画を描き続けます。
1427年、全ての時代の若者と同様に
彼女もまたフェラーラの宮廷を去り
高貴な家柄の子女たちと
神のお導きなしには正しい道を進む事は
出来ないと教える
「聖アウグスティーノの精神性」を
規範とする生活を共にします。
そして彼らと共に、フランシスコ会を
信奉し、戒律に従い、コルプスドミニ
修道院内の隔離された場所で修行を
はじめます。
1456年、カリスマ的徳性のあるカテ
リーナは、彼女を崇拝する市民や宗教
当局からの幾度とない招きに応じ
コルプスドミニ修道院を設立するために
ボローニャに戻ります。
その後7年間、1463年3月9日の彼女の
死まで修道院長として仕えました。
カテリーナの遺体は一旦は土葬されまし
たが、18日後に掘り出された際
遺体は無傷で芳香を発していました。
1712年5月22日
教皇クレメンス11世によって
カテリーナは聖人の列に加わりました。
その際、聖カテリーナ から女子修道院
長を引き継いだ、福者イルミナータ
ベンボは、カテリーナから発せられる
芳香など聖人の死後の事象を目撃した
と証言しました。
これまでカテリーナの聖遺物の安置場所
は幾度となく移転されましたが、今日の
場所に落ち着き、葬祭用の仮面をつける
事なく椅子に座り、すべての人々に見え
る場所に安置されています。
現在も、聖カテリーナの聖遺物から滲み
出る芳香性液体によって修道服が湿る
ため、定期的に着替えをしています。
聖カテリーナの聖遺物は、亡くなってか
ら70年以上の間、毛髪と爪は成長し続
け定期的に切り取られていました。