技術と伝統を世界に誇るべネチアンガラ
スは、千年以上の歴史を刻んでいます。
1982年には、べネチアでのガラス
生産について最初に触れた982年の
古文書から千年が経過したのを祝って
祝典が開催されました。
高品質のガラスは、エジプト人と
ローマ人の時代にすでに作られて
いましたが、ムラーノ島に
根付いたガラスの生産は、おそらく
ビザンチンから持ち込まれました。
1082年、トルコのイスタンブール
を首都としていたビザンチン帝国
(東ローマ帝国)とベネチアとの
商業的レベルでの交易が始まり
ベネチアは貿易立国として
ヨーロッパの強国となっていきます。
その為、ベネチアには早くからシリア
など東方のガラスに関する最新技術が
もたらされていました。
モザイクアートのニーズを満たす為に
導入された可能性もあるようです。
1204年に東ローマ帝国が十字軍によ
り滅ぼされると、逃げ出したガラス職人
の中にはベネチアにたどり着いた者もい
ました。
13 世期頃べネチアンガラスの名声は
世界的に高まり、その技術の海外への
流失を防ぐ為、ガラス職人は家族と共に
ムラーノ島に移住を強いられます。
そこからべネチアンガラスはムラーノ
ガラスと呼ばれるようになります。
しかしガラス職人たちの強制移住の本当
の理由はそれだけではなく、高温を要す
るガラスの制作工程で火事が絶えず
木造建築が多かったベネチアの町を火災
から守るためのようです。
こうして、現在に至るムラーノ島の
ガラス工芸の歴史は始まりました。
そして16世紀、ベネチアンガラスは
最盛期を迎えます。
精巧なシャンデリアや鏡など様々な名品
が作られ、ルネッサンス期にその繁栄は
頂点に達します。
ガラスの厚みはどんどん薄くなり
ヨーロッパの富裕層の食卓や、サロンを
飾るに相応しい質を誇るようになります。
しかし、1796年ナポレオン軍の侵入
によってべネチア共和国が崩壊し
べネチアのガラス産業の危機が決定的な
ものとなりました。
ナポレオンは、厚く丹念なカットと
彫り込みが施されたバロック様式の
ボヘミアンガラス産業に利益をもたらす
よう力を注ぎます。
技術的および美的観点とは異なる
ヨーロッパのガラススタイルの市場逆転
ベネチアンガラスの威信は失墜し
15世紀から勝利を収めてきたベネチア
ンガラスは18世紀に衰退します。
その当時、危機にあったべネチアンガラ
ス産業を救ったのがコンテリアと呼ばれ
たビーズ群です。
ビーズの生産も最初はエジプトで
次にローマ時代のガラス棒から派生して
います。
ムラーノガラスビーズの製造に関する
最初の記録は13世紀の終わり頃で
伝説によると、アジア人達への愛を語る
マルコポーロの交易の話を盗聴したベネ
チアの職人が、アジアとの貿易の為に
ベリセリと呼ばれる宝石のレプリカの
ガラスビーズを製作する技術を見出した
ことに言及しています。
ベリセリに加えて、エルサレムに向かう
途中ベネチアに立ち寄るキリスト教の
巡礼者の為のロザリオのビーズも作成し
ました。当時のベネチアンビーズは
世界中の市場で両替通貨として使用され
商人、宣教師、探検家が貴石、金、貴木
とビーズを交換しました。コロンブスも
アメリカに携帯しました。
18~19世紀は海外輸出向けに、衣類
コスチュームジュエリー、髪飾り、家具
に使用され、ベネチアでのガラスビーズ
の生産は、貿易の為の貴重な商品に
なっていました。べネチアンガラス産業
は脚光を浴び、ビーズは大量に生産され
再び勢いを取り戻していきます。
そして細い穴の開いたガラス棒を使った
より小さなガラスビーズコンテリアの
時代が訪れました。16 世紀頃のベネチ
アでは、一粒づつ作られるランプワーク
のビーズをコンテリアと指したようです
が、今日では種のように小さいことから
名付けられた「シードビーズ」イタリア
製の極小ビーズをコンテリアと呼びます。
ガラス棒を引き伸ばし、中に空気が入る
工夫をして、ビーズの穴がふさがらない
ような加工をしつつ大鍋の中で仕上げて
いく独特の製法で、細いシャープペンの
芯のような形状を、細かく切断する手の
込んだビーズです。
一部のコンテリアは、サイズが1mm
よりもさらに小さいものもあり、刺繡
細い鉄線を使った花の作成、ネックレス
小さなイブニングバッグに使用されました。
コンテリアの品質と穴の完成度を保証す
る為に、インピラレス(糸を通す事を
意味する)によって束にされました。
色ごとに分けられたコンテリアを、底が
湾曲した木製のトレイ(セソラ)に注ぎ
40~80本の非常に細い扇形の針を手に
持ち、ビーズを綿又はリネンの長い糸に
通します。屋外の小路や広場に座った
熟練した女性によるベネチアのビーズ糸
通しは、当時のベネチアの風景を特徴づ
けています。
ピーク時の1920年代~1930年代頃の
べネチアのムラーノ島には、コンテリア
を作る30程の工房がありました。
しかし、数年前ムラーノガラスのすべて
のコンテリア生産は、その技術を持った
職人がいなくなり終了しました。その為
今では残り少ないものとなりました。
今日目にしているコンテリアは、すべて
を同じように機械生産したものです。
手作りの本当のコンテリアはムラーノの
ものです。1930年代までに作られた
ものをアンティークコンテリアと呼び
1940年代以降のビーズは
ヴィンテージコンテリアと呼ばれます。
機械での大量生産では表現出来ない手作
りの本物の味わいがそこにはあります。
ベネチアンガラスビーズは、ユネスコの
無形文化遺産のリストに公式に含まれま
した。ガラスビーズの歴史は長く魅力的
なものであり、べネチアそしてムラーノ
島に到着するずっと前に生産されたガラ
ス芸術すべての文化遺産と知識に密接に
関係している為、時の流れの中で失われ
ることのないように
この芸術のノウハウ、その社会的及び
文化的影響をユネスコが保護し
保存したい遺産なのです。