ボローニャの旧市街に38kmにわたっ
て張り巡らされた柱廊の歩道
ポルティコ 。
古い家屋が、中世に造られた道に”張り出し”を出しています。
これらの張り出しは、雨宿りのために造られたものではなく
市外海外からボローニャ大学に勉学に訪
れる学生の為の住居空間が不足してきた
為に、それを補充すべく 自発的に発達
したもので、13世紀には市法令で統制
されることになり、個人用空間が公共用
に使用されるようになりました。
現在ではユネスコの世界遺産に登録され
ています。
世界最古の大学といわれるボローニャ
大学最高学府アルキジンナージオの
建物は、1562-1563年に完成さ
れました。反宗教改革運動の最中の
ことであったので、そのスタイルは
ボローニャ大学界へのローマ法王の介
入を示しています。この場所に全学科
が初めて一体化された大学が1803年
まで置かれていました。天井と壁に紋章
学上非常に興味深い7000個を超える
紋章や、学者達を記念するフレスコ画が
描かれていて、上階には解剖劇場と呼ば
れる1637年-1649年アントニオ•
レヴァンティ作の教室があります。
7世紀にこの二本の塔に関する記録によ
ると、高さはどちらも60メートルで
それぞれアシネッリ家とガリセンディ家
のものでした。ガリセンディ家の塔は
基礎に問題があったため建設当時から傾
いており、14世紀の半ばに当時の
ボローニャ総督ジョバンニ•オレッショ
の命により、約12メートル低くされま
した。それ以来高さは47.5メートル
となり、”切断された塔”とも呼ばれるよ
うになりました。ダンテは新曲の地獄
編、第31歌章で、この塔について歌っ
ています
ネプチューンの噴水はボローニャの
シンボルで、マッジョーレ広場の片隅に
あるため、待ち合わせの指標になる
モニュメントです。1563年メディチ
家のピオ4世の命により、1565年に
彫刻家ジャンボローニャよって制作され
ました。